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2010年7月11日 (日)

[才市] 弥陀の直説 なむあみだぶであります

さいちよい

いま説教をしたは誰か
へ 安楽寺の和上さんであります
そうではあるまい
へ 蓮如さんであります
そうではあるまい
弥陀の直説 なむあみだぶであります
(鈴木,p.28)

 先に,「宣教会は弥陀の会」という歌をご紹介しましたが,今回は,説教されたのは阿弥陀さまという歌です.
 そう言えば,讃岐の庄松さんも,自分を導いてくださった周天というお坊さんを『周天如来、周天如来』と呼び,会うたびに手を合わせたそうです.これについて,次のような文を読んだことがあります.

庄松さんが「周天如来」と言ったのは僧周天を如来として拝んだということではない.周天の中に如来の働きを見,それを拝んでいるのだ.
(出典不明,記憶による引用)

つまり,生身の周天個人を拝んだのではない,周天を通して如来を拝む,だから,「如来」とお呼びした,ということです.
 才市さんには,こんな話もあります.

才市さんは,本堂でよく法座のふれをしていましたが「○月○日,△△寺で法座があります.ご講師は,△△寺の如来さまであります」・・・ご院家さんとはいいません.如来さまといっていました.才市さんは,如来さまから聞いているんだなァと思いましたね.
(菅原)

 これもやはり,「如来様から聞いている」ですね.

【補足】
 鈴木:鈴木大拙『妙好人 浅原才市集』.
 庄松さんの話は,たとえばこのページの最後のところ.ただ,「周天を通して如来を敬う」とはっきり書いてあったサイトは見つけられませんでした.確かにどこかで見たのですが.
 菅原:座談会「才市さんを偲ぶ」(『妙好人 才市さんの世界』本願寺出版部,1981 所収)における西楽寺前坊守[当寺] 菅原静子氏の発言(同書 p.254).

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コメント

記事を読んで”いっこく堂”を思い出しました^^;

 こんばんは.さっそく,“いっこく堂”サイトからYouTubeに飛び,何本か楽しませていただきました.腹話術なんて久しぶり.
 余談ですが,「刑事コロンボ」か何かで,腹話術の変形(?)として,“声を飛ばす”(?)というマジックをやってました.人形ではなく,たとえば,誰もいない舞台の袖から声が聞するように演じるもののようです.一度,ライブで見てみたいと思いながら・・・.“それ,見たぞ”って方いらっしゃいません?(話があらぬように飛んでしまいました ^-^;;)

次の記事「衣によって尊い」と併せて、ありがたく読ませていただきました。
料理の素材と調味料のような関係で、弥陀の説法を目の前の人間が取り次ぎをさせているのですね。素材の味もさることながら、それにパッパッと
振り掛ける調味料の役目の人間の経験談などにより、法を自分のこととして聞かせていただけます。
才市さんのうたも「ごおんうれしや」などの本で一気によませていただくと
サラッと読み流してしまいますが、junkさんのお陰で、ひとつずつゆっくり
味あさせていただけ、美味であります!!

>振り掛ける調味料
いい喩を聞かせていただきました.ちょっと転用して,「おいしいからってフリカケばかりなめていても栄養になりませんよ.ご飯食べなきゃ」ってのを,そのうち,ご法話でつかわせていただきます(^-^;).
 法を伝える立場にあるものとしては,皆さんのお口に合うような調味料を使わなければならないのですが,つい,自分の好きな調味料になってしまいます・・・.

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