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2010年10月 3日 (日)

[才市] 棘の角 二本三本はえている

あさましの憂きことは だれにもあるよ あるよ
さいちにもある 病気のやまい
棘の角 二本三本はえている
慈悲の鏡で見りゃわかる
(楠,三, p.259)

 先日,「ろくでもない自分との出会い」というコメントを頂きましたが,才市さんの場合は,鬼である自分との出会いのためにお寺に参っていたと言えるかもしれません.仏様の前で手を合わせたとき,角の生えている自分の姿に気づかされるのです.
 この絵は,地元の画家,若林春暁氏によって描かれたもので,口あいとならんでよく紹介されるものです.このとき,才市さんは71才,以前ご紹介した才市さんの写真(1922年)とほぼ同じ頃です.この肖像が書かれた経緯については二通りの話が伝えられています.

(その1)角のある肖像
 大正八年[1920年]の暮れであったと記憶するが,いつものように帰省の途中,安楽寺によった.女中さんが,すぐ才市爺さんに,私が東京から帰ったことを知らせてに行った.才市さんがすぐやって来た.挨拶もそこそこに彼は言うのであった.
 「あまりみなさんが,私をよくお寺に参るというでな,わしが寺に参るのは,鬼が寺に参るのだと言うことを見てもらいます.温泉津の画工さん(若林春暁氏)に頼んで,鬼が仏さんを拝んどる絵を書いてもらいました」
 「はあ,そりゃ面白いね」
 「鬼にしても,わしに似せて書かにゃつまりません.それで,画工さんに言うて,わしに似た画を書いてもらって,額に角をはやしてもらいましたよ」
 「そしてそれをどうするの,爺さん」
 「来月は御正忌さんでな,それで,これ[安楽寺]の本堂に,アレをかけてもらって,みんなし[皆さん]に,
  わしが仏さんを拝むのは,この通りまったく鬼だ,
と言うことを見てもらいますよ」・・・
 そのままに別れて,私は自坊の御正忌をすめて,正月十七日上京の途中,また安楽寺に寄った.
 「叔父さん[当寺の安楽寺住職,梅田謙敬],才市さんの像を御正忌に本堂にかけなさったかね」
 「アアかけたが,大事な本人は一度も参って来なかった.
流行感冒にやられて,この間は危篤だったよ.見舞いにいってやれよ」
(寺本, pp.96--99)


(その2)
若林春暁画伯の小浜の実家と才市の家とは近くで,画伯が海岸を散歩する時は,才市の家の横から浜に出た.時々お念仏を称え乍ら,無心に仕事に打ち込んでいる才市の姿や,お寺に参る才市を度々見て,画伯の心は才市に引きつけられた.・・・当寺,才市は有名人でなかったから,人々は才市に関心を持たなかったが,画伯は,才市が信を得て,内にみなぎる喜びの,尋常でないことを感じ,その柔和な顔にすっかり魅せられて,才市に,あんたの姿を描かせて下さい,と申し入れたら,才市は「わしは,老人だから描いてはいらんよ」と拒んだ.併し画伯は・・・才市に気づかれないように,毎日やって来ては,たくさんのスケッチをした.素顔を描き上げたが,仲々[ママ]巧く描けなかった.併し遂に,画伯自身の納得出来る画が完成した.それは肩衣を着て念珠をかけて合掌している才市の肖像がである.画伯がそれを才市に見せると,才市は即座に「これは,わしじゃない」と言った.画伯は,折角苦労して才市そっくりの肖像画が出来たから,さぞ喜んでもらえると思っていたのに,異外[ママ]な言葉に驚いた.どこが気に入らないのか尋ねると,才市は「わしは,こんなに好い顔をしておらんよ.わしは鬼だ.すまんが,わしの頭の上に二本の角を描いておくれ」と言った.・・・才市の願い通り,才市の肖像画の頭の上に角を描き加えた.それを才市に見せると才市は「これ!! これ!! これが本当のわしだ」と大層喜んでお礼を言った.才市はこの絵を巻いたまま,仏壇の横に,人の目に付かないように隠しておいた.
(高木, pp.145--147)

 絵が画かれた発端と画かれた後のことについて少し相違がありますね.寺本説はご自身の見聞として書かれていますが,高木説は(内容的・年代的にご自身の見聞ということはあり得ないので),何かの資料に依ったか伝聞と思われますが,典拠が示されていません.そういわけで,当山でお話しするときには,寺本氏のお話を紹介させていただいています.
 しかし,いずれにせよ,角が画かれたのは才市さんの希望であったようです.ただし,この肖像が味わい深いのは,単に角が生えていることだけではありません.これについては,項を改めて・・・.

【補足】
 寺本:寺本慧達 『浅原才市翁を語る』 千代田女学園出版部 1952.
 高木:高木雪雄 『才市同行』永田文昌堂 1991.
 いずれも,・・・は引用者による省略,[ ]内は引用者注.また,漢字は旧字を新字にあらため,拗音を小さくするなど,一部標記を改めました.
 高木氏のこの記述は,若林さんの思いが叙述されているなど,若林さんの視点に立っています.当事者しか知らないはずの才市さんと若林さんとの会話が非常に活き活きと描かれていることからも,若林春暁氏から(間接的に)お聞きになったことではなかろうかと想像されますが・・・.

 楠,三, p.259:楠 恭 編『定本 妙好人才市の歌 全』三のp.259.この歌の全文は次の通りです.

あさましの うきことわ たれにもあるよ
さいちにもある びょうきのやまい
ときのつの 二ほん三ほん はゑてをる
じひのかがみで みりわかる
あさまし あさまし あさましや
あさましいのが このさいち あさまし
あさまし あさましや あさましや
あさましや あさまし あさましや
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
あさまし あさまし あさまし あさましや
なむあみだぶつ なむあみだぶつ なむあみだぶつ

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コメント

二つとも ゆかしいお話ですね
少し味わってからコメントをすることにします

 才市さんについてはたくさんの文章がかかれていますが,自身の直接の見聞・伝聞・憶測・思い込みなどが入り混じって区別されていない場合が多く,伝記上の事実を調べようとする場合には,もどかしい思いをすることがあります.まぁ,妙好人に関する話は,大体そうでしょうね.歴史論文を読むわけではないので,伝えられた話をそれぞれに味あわせていただけばよいわけです.
 とはいうものの,才市さんの伝記的事実を調べるという点からは何を頼りにすべきか,まとめてみたいとは思っています.ま,私も,刊行史料だけによる(つまり,手稿や聞き取り調査なしの)歴史研究の真似事をしたことがあるだけで,史料批判の訓練を正規には受けていませんので,あてにはなりませんが.

こんにちは
>自身の直接の見聞・伝聞・憶測・思い込みなどが入り混じって
それはそれなりにいろんな方々が (中には間違いも有るでしょうが)
受け取った と言うことですので尊いことだと思います。
本に書くと問題が有りますが、口伝するのは、それぞれの受け取りを
話されればいいでしょう、話すことにより相手から間違いを指摘される縁にも恵まれますからね。 物申せ!!です。
寺本説(ご親戚ですか?)の 流感のくだりは 笑えますね。
高木説の方がほんのり暖かな感じがしますね。
才市さん本人のことではありませんが、一昨年石見にお邪魔したとき、
西臨寺の前住職が「昔は 才市さんのような人がたくさん居たが
今は居ない」と言われていたことが心に棘のように刺さっています。
才市さんの時代から比べると 夢のような豊かな生活を獲得しましたが、
その何倍も尊い事を失ってしまったようですね。来年を歯止めを掛ける
一年にしたいものです。

 高木説の方は,綺麗にまとまっていて,才市さんも若林さんもどちらも素晴らしい,と素直に感じられるような話になっていますね.これに対し寺本説は,ちょっと常軌を逸しているというと言いすぎですが,奇行めいた感じがしないでもありません.それがまた味わい深いのですが.

 寺本さんは梅田謙敬の甥にあたり,少し山奥に入ったお寺の方です.京都・東京の行き帰りにうちを中継地にしていて,そんなご縁から才市さんにであわれたようです.

 才市さんの他にも妙好人と呼べる人がいた話をそのうちご紹介したいと思います.

>才市さんの時代から比べると 夢のような豊かな生活を獲得しましたが、
その何倍も尊い事を失ってしまったようですね。

本当にそうですね.以前ご紹介した,才市さんが小走りなってお寺に参ったという話を聞いたとき,そう思いました.たくさんの娯楽や観光地に恵まれている私たちと,才市さんと,どちらが充実した“余暇”を過ごしているのだろうかと.

 “レクリエーションとは本来祝祭であって,聖なるものに触れることによって再生が果たされたのだが,最近のレクリエーションは俗の延長で,真の再生が果たされない”という意味のことを読んだことがあります.キリスト教文化圏の話ですからこういう言い方になりますが,でも,似たことが日本でも言えそうですね.

延々と続きそうな気配となってきましたが、そろそろ打ち止めしましょうか。と言いつつ

>レクリエーションとは本来祝祭であって

これも悔改批判で話したのですが、私の聞法の原点となったブラジル人僧侶から30年近く前に聞いたことです、キリスト教のレクレ-ションでは有りませんが、
「日本の村の鎮守のお祭りと私たち真宗門徒の勤める報恩講の違いは
何か?前者は一年間の辛かった農作業や漁を騒いで忘れるために(リセットという意味か?)行う行事であるのに対して、報恩講は一年中私たちが忘れ通しだった、親鸞聖人や阿弥陀様のご恩を思い出すために行う行事です」
まっことそうでありました。外国人の僧侶に教えられるなんて・・・・・

>才市さんと,どちらが充実した“余暇”を過ごしているのだろうかと

明治以前の農民や町民などは 全くのオフタイムの 余暇 なんて物は
無かったのではないかと思います。いつも生活のために手や身体をうごかしていたことでしょう。聞法の座に着くためにその分早起きをして野良に出たことでしょう。小走りの才市さんもギリギリまでふれ歩き足で聴聞の時間を稼いでいたことと読ませていただきました。蓮如さんの言われるように 暇をかきて 聴聞されていた姿に頭が下がるばかりですね。

そうそう ひよこの歌 を気に入っていただいたようで、私の受け取りが
あやふやなので心配しておりました、福井の坊守さんが ご正忌全日程のwebTVのDVDを送ってくれましたので、ひよこの歌 を教えてくれた、小林顕英さんの部分をCDに落とし、近日中に送ります。24分ころに話されていたようです。やはり勝手に脚色してお伝えしていたようです、ご覧になって記憶修正お願いします。

>延々と続きそうな気配となってきましたが、そろそろ打ち止めしましょうか。と言いつつ

延々と続けてみるのもいいかもしれませんが,一応,別項で改めてということにいたしましょうか・・・

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