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2010年11月 3日 (水)

「偽悪は・・・二重底をもった偽善」

 念仏するようになり,「凡夫」ということばに馴れるにしたがって,うっかりすると露悪的になったり偽悪的になったりしかねない.
 かって,キリスト教を信じていた時代は自分の偽善をもてあましたものだ.
 偽善も鼻につくものだが,偽悪はもっといやな臭気だ.二重底をもった偽善だからである.
 まねをするなら,悪人のまねより,善人をまねた方がいいと思う
(川上)

 偽善というのは,善の装いの裏に悪を隠そうとするものです.これに対し,偽悪とは,悪の装いの裏に善を隠そうとするものです.では,その隠した善は本物かと言うと,その善のもう一つ裏に実は悪が隠されている.“本当はいい人”と言って欲しくてワルを気取る.あるいは,“謙虚で立派な人”と見られたくて“私なんぞ,ほんにつまらん奴で”と言ってみる.「二重底の偽善」とはそういう意味でしょう.先手を打ってこっちから先に言っておくというのも,似たようなものですね.
 厄介なのは,当の本人が二重底に気づいていない場合が多いことです.“私なんか浅ましい凡夫で”と言うと,立派な信心を得たような気分になれる・・・と,一般論を言うのは簡単なのですが.

【補足】
 川上:『川上清吉選集』(浜田市:川上清吉選集刊行会, 1972), 下巻, p.40.
 川上 清吉氏(1896-1959)は,才市顕彰会刊『浅原才市』(1957)の著者です.『島根県大百科事典』(松江市,1982)から抜粋すると:

島根県浜田市生まれ.中学校卒業(1914)後,小中学校の教員資格を取り,教職に就く.中・高校の校長を経た後,島根大学教授.親鸞研究者というよりも,親鸞の教えに救いを求めた信仰の人.また,若い時から短歌などの創作を行った.

 えっと,今回のお題は,無自性仏性説と「信はこれ・・・」の続きのつもりで決めていたのですが,どう続けるつもりだったのか分からなくなりました(^^;).ま,別に続いてなくてもいいのですが・・・.

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コメント

こういうロジックを知ると自己否定が足りないと感じさらに自分をクソ扱いするだけ。
どこまでゴミ扱いすれば良いのか分からない。
何がなんだか分からない。

コメントありがとうございました.

仰る通り,このままだと,蟻地獄に落ちてしまいますね.どこかでポーンととんぼ返りを打って(打たされて),なあーんだ,ということになるのでしょうが・・・.

すでにお読みいただいたかもしれませんが,「[才市] ええも悪いも みな悪だ」(2010年11月20日付け)など,11月の別の記事もご覧いただけると幸いです.蟻地獄が深くなるだけかもしれませんが.

「[才市] ええも悪いも みな悪だ」: http://houju.txt-nifty.com/blog/2010/11/post-bd18.html

11月の記事一覧: http://houju.txt-nifty.com/blog/2010/11/

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