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2011年10月30日 (日)

「息の出入りは風のかりもの」(善太郎さん)

体のうるおいは 水のかりもの
息の出入りは 風のかりもの
(『有福の善太郎』, p.69)

 石見には才市さんの他にもたくさんの妙好人がいらっしゃいますが,その中でもよく知られているのが「有福(ありふく)の善太郎(ぜんたろう)さん」ではないでしょうか(遠方からおいでになる方は,善太郎さんと才市さんをセットにしてお参りされることが良くあります).上に掲げたのはその善太郎さんの言葉です.
 「自分は水や空気をだけでなく,多くのもののおかげで生かされている」(同書71頁の解説より).そして,その水は,「海・蒸発・雲・雨・雪そして川へと循環し続けてい」(同70頁)る.その循環の中にこの私もいる.自然を利用してるうちに,自然の外に立って自然を支配しているような錯覚に陥っていないか・・・.こういう受けとり方は,今日的な受けとり方かもしれません.でも「体のうるおい」,「息の出入り」という言い方に,自然との繋がりを感じまました.

【補足】
 『有福の善太郎』:ハーベスト出版 編集『親子で読んでほしい 妙好人 有福の善太郎』 松江市:ハーベスト出版, 2011.
この本に関する出版社のページはこちら

 善太郎さんについては,

菅 真義『妙好人 有福の善太郎』(光現寺内栄安講 発行,百華苑 発売, 1966)

を参照することが多いのですが,この度,この本(『親子で・・・』)を頂戴いたしました.ありがとうございました.今回いただいた本は,物語風にまとめた善太郎さんの逸話に善太郎さんの言葉とその解説を加え,大きな活字でゆったりと組んだものです.河野通暢(こうの みちのぶ)氏の版画が多数添えられていて,親子で読むにはもちろんですが,ややこしい本は根が続かないという親(つまり私)が自分ひとりで読むのにもうってつけ(?)の本です.なお,序文を書いておられる 菅 和順 師は光現寺の御住職です.また,上に出版社のサイトには表紙の写真が載っていますが,そこにある版画は山崎すすむ氏の版画です(山崎氏は,才市さんの版画も彫ってくださっています).
 ついでながら,善太郎さんは浄光寺(江津市後市)の門徒さんでしたが,有福の人で,日頃は地元の光現寺に参っていました(鐘の音が聞こえるところに住みたいと,光現寺の近くに家を建てたという話が残っています).この,善太郎さんと浄光寺/光現寺の関係は,才市さんと涅槃寺/安楽寺との関係と同じです.

 善太郎さんをはじめとする山陰の妙好人についてはこちらをご覧ください(山陰教区公式サイト内の頁).

 「かりもの」という言葉から,以前ご紹介した

抑々《そもそも》我等と申すは,地水火風のかり物を,とくに返弁仕り,六賊煩悩のたねをたち,十悪の里を出て,もとの古郷に立ち帰り,人間の八苦をよそにみるぞうれしき

という骸骨の歌を思い出しました.根拠のない憶測ですが,善太郎さんとしては,“やがては返す借り物”という意味だったのだろうかとも思ったりもします.

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