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2014年2月28日 (金)

お説教中に才市さんが立ち上がった話:資料

 再開したウェブサイトの方で,才市さんがお説教中に立ち上がったという逸話を紹介していますが,それへの補足として,こちらには関連資料を書き写しておきます.“ウェブサイトの方は,書き手の講釈がごちゃごちゃ混じって脱線気味なのがうるさい” という方はこちらのブログ記事を,一方,“こんな資料の書き抜きではあまりにそっけない” という方はウェブサイトの方をどうぞ(^^;).

司会 才市さんのお聴聞ぶりで,ほかに印象に残っておられることはありませんか.
梅田 時々,ひょっこり立って,そして座るんです.本当に,われを忘れて聞きいっていましたね.
菅原(静) 聞いているうちに,突然たち上がって「ありがたいな」といいながら,くるっと回って座わり,聞いておりました.
堀江 私も一番印象的なのが,本堂で説教の最中に,感動して立ち上がり「ありがたいな」と手をあげていられた姿です.
布広 そうですね.大きくなって寺に参るようになりましたら,才市さんが,いつも高座のまん前に座っておられました.そして説教の最中でも,感動すると「そこだてや,そこだてや」「ありがたいなァ,ありがたい」と,われを忘れていうておられました.高座の前に立ち上がって「眠らんこうに,よう聞きんさいよ」といわれていた姿も,忘れることができません.
・・・[中略]・・・
室田 私も,大きくなって,お寺に参るようになると,子供の頃に下駄の歯替えをしていたおじいさんが必ずおられて,時々,立ち上がられるので,あの時のお爺さんだな,と思った記憶があります.
司会 そういえば,子供たちが何で寺へ参るかいうたら,あの爺さんがいつ立つか,それが楽しみで参っていたそうです.(笑)
 (『妙好人・才市さんの世界』, pp.237 -- 239)

 才市さんは小柄で無口,あまり目立たない人だったようですが,法座の席では結構目立ってたようですね.法座中に立ち上がる話の中で,もっとも印象的で具体的な様子が伝わっているのが次の逸話です.

司会 長見さんは,服部和上のお説教のとき,才市さんが「当たった,当たった」と両手をあげて立ち上がったのを知っていらっしゃるそうですが,そのときの様子を聞かせて下さい.
長見 服部和上の説教のとき,高座のまん前に座っていた才市さんが,突然,立ち上がって「当たった!当たった!」「極楽まいりの債券に当たった!」と両手をあげて大声で叫び,クルリと回って座ったのです.何の話ですかといいましたら,服部和上さんが「極楽まいりは,たとえていうなら,債券に当たったようなものだ.今から債券に当たったものを読みあげるぞ」といって「末代無智の在家止住の男女・・・」と『御文章』をここまであげなさったとき,突然,才市さんが立ち上がって叫んだのです.一同お念仏しておりましたが,私も,ありがたい気持ちになりましてね.
菅原(静) そのとき,隣にいたお婆さんも立ち上がって「わしがもろうた」と叫んだということですね.
長見 そうです.山で怪我をして足の悪いお婆さんでしたが「わしがもろうた」というてね.石脇サダさんという,よく寺まいりなさる人でした.
司会 すばらしいご法義の仲間ですね.ほかにも,このような仲間がたくさんあったことでしょうね.
 『妙好人・才市さんの世界』, pp.240 -- 241)

 これは,当日のご講師,服部範嶺師の日誌により,1912年5月(才市63歳)のことだったことが明らかにされています.また,西楽寺ご住職の話も記録されています.

西田瑞泉寺の住職,服部範嶺師の「日誌」には,「五月一日ヨリ五日マテ温泉津西楽寺宗祖大師五十回忌法会.唱導利井明朗師老年ニ付補助トシテ説教.真宗昭隆ノ大祖聖人等」とあり,才市が服部範嶺師の説教中喜びの余り飛び上がったという有名なエピソードはこのときのことである.その場に居合わせた西楽寺菅原真成師の話に依れば,範嶺師が,信心を得るのは大変難しいことで例えば富籤に当るようなものだと説明し,今から番号を読むからよく聴けと,おもむろに御文章の五帖目御一通を読み始め,「末代無智の在家止住の男女たらんともがらは」というところまでくると,満堂の聴衆の一番前に坐っていた才市が,突然立ち上がって,「当った,当った,わしに当った」と叫び,両手を挙げたまま一回転し,やがて恥ずかしそうに坐ったという.才市が歌を書き始めるのは翌年であるが,その信心開発は少なくともこれ以前のことでなければならない.
 (佐藤, p.46.年譜1912年の項への注40)

 「債券」と「富籤」,「当たったもの」と「番号」など些細な相違はありますが,およそ半世紀まえの出来事の記憶としては驚くほどよく一致していますね.それだけ印象深かったのでしょう(噂話のようにしょっちゅう人々の口の端にのぼり,収束したのかもしれません).なお, 「才市が歌を書き始めるのは翌年[1913年]」とありますが,これは,“歌をノートに書き留め始めたのは1913年”という意味です.

 ところで,同じ菅原真成師の回想として,こんな話も残されています.

 温泉津西楽寺で宣教会の大会があった時,満堂の大参詣人であった.瑞泉寺の服部範嶺勧学が講師として説教された.『正信偈』の「難中之難無過斯」の心を説明して,「遭い難くして法に遭い,得がたくして信をえることが出来たのは,例えてみれば富籤に当たったようなものだ」という意味のことを話された.
 そのとき,高座の正面に座っていた才市さんが,突然立ち上がって,大声で「当たった!当たった」と叫び,両手を挙げてそのままグルリと一回転し,そしてわれに返ったように,恥ずかしそうにして座った.[・・・後略・・・]
(西楽寺前住職 菅原真成師談)
 (『妙好人・才市さんの世界』, pp.205--206)

 上と同じ話のように見えますが,宣教会で『正信偈』の拝読を聞いたとき,というのが違います.最初の資料から分かるとおり,才市さんはしょっちゅう立ち上がっていたようですから,これは別のときの話と見ておくのが妥当でしょう.

 寺本慧達師の本にもこの話が出てきます.

かって,温泉津西楽寺で,故服部範嶺和上が,説教されたことがあった.何かの言葉が,彼の胸にアタッタのである.感極まった彼は
  --- アタッター
と叫んで,高座の正面に思わず立ち上がったこともあった.
 (寺本, p.25)

 慧達師が才市さんに出会うのは,才市さんが御文章を聞いて立ち上がった法要から2年後です.おそらく,いろいろな人からこの話を聞かされたのではないでしょうか.なお,引用箇所は「浅原才市翁を語る」と題された章で,「昭和27・6・16」という日付が付されています.

【補足】
『妙好人・才市さんの世界』
, 本願寺出版部, 昭和56年[1981].
佐藤 平 著 「浅原才市年譜」,
『大谷女子大学紀要』第20号, pp.30--49, 1986.
寺本慧達『浅原才市翁を語る』,
東京千代田女学園, 昭和27年[1952].

引用に際しては,表題・見出しなどは省略し,一部漢字を改めました.

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